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2023/02/10
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ダイバー日記

東京都立大学一時保育施設「都立大KIDS」の「園だより」と、毎月先生たちが手作りしているコラージュ写真を更新しました。
先生方が工夫を凝らしたイベントのもようや、子どもたちが楽しそうに遊んでいる姿など、都立大KIDSの雰囲気が伝わってきます。
子どもたちの毎日を支えている先生方は、季節の行事にあわせたイベントの企画や新しいおもちゃ作りなど、子どもたちに楽しんでもらおうと、日々工夫を凝らしています。
都立大KIDSでは、入園希望者を随時募集しています。体験入園も行っていますので、ダイバーシティ推進室までお気軽にお問い合わせください。
都立大KIDS「園だより」は⇒こちら
(藤山)

ダイバーシティ推進室では、「ダイバーシティ」をテーマに、ミニレクチャーやディスカッションなどの形で学びあう「ランチタイムレクチャー」を2017年度から開催してきました。
今年度はコロナウイルスの感染状況等を踏まえ、前期は完全オンライン形式で、後期は対面とのハイブリッド形式で開催しました。時間帯も18時から19時に移し、その名も「よるダイバー」と変えてみました。ちなみに「よる」とひらがなにしたのは、開催時間の「夜」と、気軽に参加してほしい気持ちの「寄る」のダブルミーニングです。
金曜の夜にどれくらいの人が参加してくれるのか、正直なところ不安の方が大きかったのですが、オンラインを中心に毎回15名前後の方に参加をいただくことができました。
また、これまでのランチタイムレクチャーではあまり参加がなかった教職員からも、複数の参加があったほか、プレミアムカレッジ受講生の参加もあり、さまざまな立場や背景を持った参加者が集まる結果となりました。
オンライン形式での開催は、場所にかかわらず参加できる機会をつくるという意味では、一つの選択肢として悪くないでしょう。しかし、どうしても用件中心的になってしまい、対面ならば可能である「終了後もなんとなく居残ってしゃべる」ようなスタイルでの交流が非常に難しくなります。そこを何とかしようと、最終回には1時間ほど、ざっくばらんに話をする交流会的な場を設定しました。よるダイバーに参加したきっかけや感想、今後の希望などについて、少し脇道にそれる時間もありながら、にぎやかに話す場を持つことができたことは、一つの成果と言えるかもしれません。
学生、教員、職員などが立場を超えて「ダイバーシティ」を考え、学ぶ。そんな場として始めたランチタイムレクチャーが、コロナの影響もあってオンライン化し、夜の開催になったことで、図らずも当初の意図したところに大きく近づいた。今回のよるダイバーはそんな結果となったように思います。
もちろん、コロナウイルスの感染は困ったことですが、そんな状況下で生まれた変化の中には、結構いいこともある。今年度のよるダイバーを終えてみて、ふとそんなことを感じました。
(藤山)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
今日は、チュラロンコン大学タイ語コースの日帰り旅行についてお話ししたいと思います。
日帰り旅行の行き先として、古都アユタヤはあるあるですが(滞在中に4回も行きました)、チュラ大の先生達に連れて行ってもらったのは、観光客がほぼいない、激レアな場所ばかりでした。
街中にたむろする大量の野猿に怯えながら遺跡観光をしたり、ローカル市場に行ってタイ人の日々の暮らしを垣間見たり... 市場には食用でもペット用でもなさそうな川魚が入ったバケツが大量に置かれており、お店の人に「これは何ですか?」と尋ねたところ、タイには「タンブン」という徳を積む習慣があり、その1つに、生きた魚を買って川に放してあげる、というものがあるそうです。釣られては売られ、放されたらまた釣られ…面白いですね。
タイ土産で人気のある網細工の体験会にも参加し、クラスメイトに助けてもらいながら、不格好で愛らしい作品を仕上げたのも良い思い出です。
タイに来るまでは、まさか自分がもう一度学生になるなんて夢にも思ってもみませんでしたが、チュラロンコン大学のタイ語コースを通じて様々な国のクラスメイトができ、タイ文化にどっぷり浸かれる、かけがえのない経験となりました。
全8回にわたる「ちょっとタイに住んでみた」シリーズ、いかがでしたでしょうか。
初めはこっそり書いている日記感覚でしたが、だんだん読んでくださる方が増えて(!)、感想もいただけて、とても嬉しかったです。またどこかでお会いできますように。
皆さん、コップンカー(ありがとう)!
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
今日は、チュラロンコン大学タイ語コースの課外活動について話したいと思います。
私は約1年かけてレベル2からレベル6まで修了したのですが、レベル毎に課外活動や日帰り旅行が用意されていて、クラスの友人と楽しんで参加していました。その中でも特に印象的だったのが、タイ舞踊を学ぶ時間でした。
事前に配られた予定表を見ると、会場は足を踏み入れたことのない大ホール。そこで私たちを迎えてくれたのは、先生ではなく、タイの伝統衣装を身に纏ったチュラロンコン大学芸術学部タイ舞踊学科の学生さんでした。
音楽に合わせて踊る学生さんを見て、みんなうっとり。わたしたちも衣装を着させてもらって見様見真似で踊ってみましたが、簡単そうに見える手の動きも、実は柔軟さが必要だったり、首の傾きや目線でこんなにも優雅さが出るのか!と驚いたり...やってみると気付くことってたくさんあるなぁ、と実感しました。
何より不器用なので、ふんどしのように布を巻き付ける伝統衣装の着方がさっぱり覚えられず、私の周りにだけたくさん人が集まって着させてもらったのが嬉しいやら恥ずかしいやら、でした。
次回は、日帰り旅行についてお話ししますね。
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
年が明けましたね。今年もよろしくお願いいたします。
さて、今日はチュラロンコン大学タイ語コースについてお話ししたいと思います。
「タイの東大」と呼ばれるチュラロンコン大学は、日本でいう渋谷のようなトレンド発信地BTSサイアム駅から徒歩10分のところにあります。広大な敷地のため学内には専用のバスが何本も走っており、制服を着た学生たちで賑わっています。そうです、タイでは大学生が制服を着ているのです。みんな若い!高校生に見える!
肝心のタイ語コースは、初級(レベル1~3)、中級(4~6)、上級(7~9)に分かれており、各レベル、月~金曜日まで毎日3時間×6週間となっています。クラス分けテストは実施時期が決まっているので、それまで日本人向けタイ語学校に通い、チュラロンコン大学では、文字を習うレベル2から始めることになりました。
授業の初日、ドキドキしながら教室に入ると、クラスメイトはアジアからの学生が大半で、欧米人は少なめでした。タイ人の先生による授業は、英語7割タイ語3割で進められ、日本語は一切なし。最初の1週間は何を教わっているのかわからず不安になりましたが、意外と慣れるもので、翌週からは簡単なタイ文字が読めるようになりました。それからというもの、街の看板やレストランのメニューを見ては立ち止まり「読める、読めるぞ!」とムスカ状態の私。(このくだり、わかりますでしょうか笑)小学生から勉強してきたはずの英語はなかなか上達しませんが、生活と密接に関わっているタイ語はのみ込みも早く、それまでは「右」「左」「止まって」しか伝えられなかったタクシーのおじちゃんと、楽しく雑談できるようになりました。
このタイ語コース、授業だけではなく、課外活動や日帰り旅行もあるんです。
そのお話は、また次回へ続きます。
(小野坂)

はじめまして、1月から障がいのある構成員部門に着任しました益子です。
ダイバーシティ推進室ということで、さて何を書こうかと思った時に、ふと、昔、兄と喧嘩をした「丸ごとバナナ」のことが思い浮かびました。
みなさんは、「バナナを買ってきて」と誰かに依頼をしたときに、どこまでだったら「バナナ」でしょうか。
小学校の頃、僕がゲームをしているときに、「何か買ってくるものある?」と兄に言われたことがありました。僕は兄に、「バナナが食べたいからバナナを買ってきて」というふうに伝えました。
すると兄は、「あー、バナナね、OK」とその時二つ返事で答えてくれたのですが、その後、買ってきてくれたものは、なんと「丸ごとバナナ(ホイップ2割増量版)」でした。
「はい、バナナ」
・・・バナナ?
丸ごと、というか何ならスポンジとホイップでお洒落にしてあるし、えええええ…!!
いえ、わかります。
「バナナであればなんでもいいだろう」「売ってなかったんだから類似品でも良いじゃないか」というその優しさは嫌いではないです。
でも、バナナが食べたかったんです。バナナが。
こういう時、「ああ伝え方が悪かったな」と思えれば神様も微笑んでくれますが、その当時は見事にケンカをしてしまいました。
「丸ごとバナナはバナナじゃないだろ。スイーツだろ。」
「いや、バナナはバナナだ。チョコバナナも丸ごとバナナもなんでもいいじゃん」
うーんかみ合わない。
この兄はヘルシーで安価でおなかがそこそこ満たされるバナナの良さが何故わからないのだろうか。それを期待していたのに、と。
今思えば、理不尽なことを当時は思っていたなぁと思いますが、子どものケンカってそんなものですよね。そして、そんな都合のいいこと、伝わるわけがないのです。
これを読んでいる皆さんの中でもきっとこのような体験されたことがあると思いますが、この話はダイバーシティとも関係があるのではと思います。
ダイバーシティの推進とはお互いの前提条件である「すべき」と「すべき」、
「あたりまえ」と「あたりまえ」の衝突を減らそうという発想を指しています。
「バナナ買ってきて!」といった話の意図がなんだったのか、といったことが家族ですら、すれ違ってしまう世の中です。
見たことも関わったこともない障害のある人、社会的弱者と呼ばれる人たちの立場について想像するということになれば、なおさら容易なことではないでしょう。
まずは相手の立場を、背景を想像することから始める。
それは誰かにとっては「あたりまえ」のことかもしれませんが、それもまた「あたりまえ」ではないことなのかもしれません。
そんなところから皆さんと一緒に考えていけたら幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
(益子)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
今日は、タイ語を始めるまでの経緯についてお話ししたいと思います。
日本では毎朝6時半に起きて通勤し、休日は友人と食事や小旅行に出かけ、予定ぎっしりの日々を過ごしていた私にとって、(夫以外の)知り合いが1人もいない、予定の無い日々が日常になる生活は初めての経験でした。
タイに到着してからは、毎朝、目覚まし時計をかけずにゆっくり起きて、南国フルーツを頬張ったり(マンゴーがとにかく美味しかった!)、家のプールで泳いでみたり、読書をしたり…はじめは異国の地での新生活にワクワクしていましたが、1か月も過ぎるとだんだん飽きてきて、物足りない気持ちになりました。
その原因を考えてみると、やはり「言葉の壁」がありました。文字を読めない、話せないことが怖くて電車やバスにも乗れず、買い物も、見慣れた商品ばかりが陳列されている日系スーパーで済ませていました。せっかくタイに来ているのに、現地の人と交流できないのはもったいないよなぁ…そう思い始めた矢先、夫の会社の先輩から「タイの東大」とも呼ばれる、国内最古のチュラロンコン大学のタイ語コースを勧めてもらいました。それが、私のタイ語学習のきっかけです。次回は、そのことについてお話しします。
*近所のショッピングモールのクリスマスツリーです。毎年ド派手な飾りつけで、今年はどんなのかな!?と楽しみでした。
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
今日は、タイ人の「ชื่อเล่น(チューレン)」についてお話ししたいと思います。
タイ人は本名の他に、チューレン(チュー:名前、レン:遊ぶ)というあだ名を持っています。本名は長く覚えるのが大変なのですが、チューレンは短く覚えやすいのが特徴です。
例えば、私の友人は「オニチャーラッタナプラーム」という嚙んじゃいそうな名前ですが、チューレンは「デンモー(西瓜)」と言います。彼女の兄は「ビア(ビール)」、姉は「ソム(オレンジ)」、皆さん美味しそうですよね。チューレンは生まれたときに両親がつけることが多く、彼女は「父親の好きな食べ物からつけられたのではないか」と話してくれました。
チューレンは、家族や友人との間で呼び合うだけでなく、職場でも使うほど浸透しており、私もこの記事を書くにあたって、初めて友人に本名を尋ねました(笑)
私も語学学校の先生から、タイでは親しみ深いジャスミンを意味する「マリ」というチューレンをもらったのですが、なんだか恥ずかしくて使えませんでした。またタイに行く機会があったら、スターバックスあたりでしれっと使ってみようかな。(タイのスターバックスでは、受け渡しにミスが無いように注文時に店員から名前を聞かれるのです。)
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
タイ生活がスタートして毎日冒険気分で外に出かけていると、タイはカラフルな服を着ている人が多いことに気づきました。また、「今日は黄色い服の人を何人も見たぞ」という日もありました。気になって調べてみると、タイには曜日ごとに色があり、誕生日カラーとして身に着けている人が多いこともわかりました。
日曜日:赤
月曜日:黄色
火曜日:ピンク
水曜日(昼):緑
水曜日(夜):黒
木曜日:オレンジ
金曜日:青
土曜日:紫
私は金曜日生まれなので誕生日カラーは青になるのですが、タイに来てから自然と青系の服ばかり買っており、ちゃっかり誕生日カラーを身に着けていました。
日本では、自分の生まれた日は気にしても曜日まではなかなか覚えていませんよね。
ところが、タイではほとんどの人が生まれた曜日を大切にしており、日本でいう星座占いや血液型占いのように、生まれた曜日で運勢を占うこともあるそうです。ほかにも生まれた曜日や時間帯によって仏像が決まっており、お寺に行くときはずらっと並んだ仏像の中から自分の仏像を選んで拝むことが習慣になっているそうです。
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
前回は、スワンナプーム国際空港に着いたところまでお話ししましたね。
空港からバンコク市内へ向かう道中は、興味津々で窓の外を眺めていました。そこにはイメージとは真逆の都会の景色が広がっていました。高層ビル群に、街中の上を走るスカイトレイン(高架鉄道)、巨大な高級ショッピングモールやレストランには人が溢れかえっていました。
お腹がすいていたので、私たちも賑やかな通りにあるタイ料理レストランで夕食を食べることにしました。混みあった店内には、納豆のような、なにかを発酵させた臭いが漂っていて、これがナンプラーとの出会いでした。メニューには見たことがない料理の写真がずらりと並んでおり、戸惑いながらもサラダ風の「ソムタム」を注文しました。ソムタムはタイ東北部イサーン地方の伝統料理です。ソムは(酸っぱい)、タムは(叩く)という意味で、スライスした青パパイヤをナンプラーやニンニク、ライム、ココナツシュガー、干しエビなどと一緒に叩いて和えます。シャキシャキしていて美味しいのですが、舌や唇がビリビリ痺れるほどの唐辛子が入っていて、他の料理を食べても口の中から辛味が消えず、その晩からしばらくトイレとお友達になりました。こうして、私のタイ生活1日目がスタートしました。
(小野坂)

サワディーカー(こんにちは)、学長室庶務係の小野坂です。
2017年に夫のタイ駐在に帯同することになり、約3年間の休職を経て、この夏に復職しました。コロナがニュースに出始めたころはどこか他人事のように感じていましたが、まさか自分が帰国時に空港でPCR検査を受け、ホテルで2週間の自主隔離をすることになるとは夢にも思いませんでした。バタバタと帰国したこともあり、タイ生活の思い出をゆっくり振り返る心の余裕がなかったのですが、少しずつ新生活に慣れてきた今、ダイバー日記のスペースをお借りして、私が経験したタイの思い出を綴っていこうと思います。
みなさんは、タイにどんなイメージを持っていますか。
私は、日本にいるときからタイ料理は好んで食べていましたが、実際に行ったことはなく、「南国でのんびりしていそう」というイメージがありました。タイに向かう飛行機の中で読んだガイドブックにもたくさんの離島が紹介されており、「週末にリゾートも良いなぁ」なんて呑気にしていたのですが…到着したスワンナプーム国際空港の巨大さに驚き(成田国際空港の約3倍もあるそうです)、記号のようなタイ文字に焦りながらも、なんとか待ち合わせ場所にたどり着き、迎えに来た夫の姿を見てホッとしたのを覚えています。その後、渋滞に巻き込まれながら家へ向かう途中にレストランで夕飯を食べたのですが、そのお話しはまた次回に続きます。
(小野坂)

2月の中頃あたりから騒々しくなってきたコロナ騒動、対応しなければならないことが次々に現れているうちに、1年の半分どころか夏も盛りを超え、もはや年末の方が近い時期になりました。私は例年、何でもいいから一つ新しいことをはじめるようにしています。ある年はランニングを、ある年はLINEを、ある年は社会人野球の観戦を、ある年は詰将棋を、特に深い意味もなくはじめ、それが何か特段の役に立っているわけではないのですが、しかし確実に視野の広がりと日常の彩を加える結果になっています。
今年は何をはじめようか。そう考える暇もなく訪れたコロナ騒動。その中で、リモートでの授業をはじめざるを得ない状況になりました。オンデマンド型の講義を12回、zoomを用いたリアルタイム型の講義を2回、それぞれ行いました。半期が終了してみれば、メリット・デメリットあわせて、これまでには想像でしかなかったことを実体験することができました。授業の成果はともかく、授業内容の再構築、伝えるべき事柄の伝え方、学生さんとのコミュニケーションの取り方など、個人としては知見を拡げることができたと感じています。
この体験は、後期以降の授業だけでなく、ダイバーシティ推進室での取り組みやそのほかの仕事の面でも、将来的な変化をもたらすことになるでしょう。自身の思惑を超えたところで、半ば強制的に新しいことをはじめるという経験も、それはそれで大切な機会になっているのかもしれませんね。さて、次は何をはじめましょうか。
(藤山)

東京都立大学一時保育施設「都立大KIDS」の「園だより」が更新されました。毎月1回お届けしている「園だより」からは、子どもたちが楽しそうに過ごしているようすが伝わってきます。
そんな子どもたちの毎日を支えている先生方は、季節の行事にあわせたイベントの企画や新しいおもちゃ作りなど、子どもたちに楽しんでもらおうと、日々工夫を凝らしています。もちろん、新型コロナウィルスをはじめとした、各種感染症への対策、衛生面での配慮もしっかりとって、皆様のご利用をお待ちしています。
都立大KIDS「園だより」は⇒こちら
(藤山)

東京都立大学一時保育施設「都立大KIDS」では、毎月の保育のようすをお伝えする「園だより」を発行しています。入園を検討されている皆様も、ぜひ参考にしてください。
都立大KIDS「園だより」は⇒こちら
(藤山)

今般の新型コロナウィルス感染症への対応として、本学でも5月の連休明けより遠隔授業が全面的に行われるようになりました。私が学生の時代であれば、おそらくこうした対応は不可能だったでしょう。それに引き換え、今や手のひらに収まるスマートフォンで世界とつながることができるのですから、インターネットやコンピュータをめぐる諸技術の発達と普及の速度と深度には目を見張る思いがします。
ダイバーシティ推進室では毎月、授業において情報保障などの支援を受けている学生と学生支援スタッフ、教職員のミーティングを行っていますが、こちらも現在はzoomを用いたオンラインミーティングに切り替えています。私たち教職員よりも、学生の方がこうした新しい技術への適応はスムーズなようです。混乱を招かないように発言時以外はホスト以外のマイクをミュートにしていることもあって、議事の進行も通常のミーティング以上にスムーズな印象を受けます。もしかしたら、今後対面でのミーティングが可能になったとしても、オンライン形式を併用することもできるかもしれません。
その一方で、まったく目的のない雑談、たわいもないやりとりができないことに、私がいささかの当惑を感じていることも事実です。ミーティングという、時間の制約と明確な目的がある場では、こうした用件中心型のコミュニケーションスタイルは非常に合理的であることは確かです。しかし、「インフォーマルなコミュニケーションが組織の生産効率の向上や安定をもたらす」とした、社会学の「ホ-ソーン実験」が示すように、用件以外のコミュニケーション、言うならば「余白」のような部分も、きっと私たちが生きていくうえでは必要なのでしょう。stay homeの時代に、そうした「余白」をいかに確保できるか。ダイバーシティ推進室という一つのコミュニティをつくる私たちの次の課題は、そこにもあるのかもしれません。
(藤山)

近年、「町中華」という言葉が静かに広まっています。要するに、昔からあるこじんまりとした近所の中華料理屋さん、というくらいの意味合いで、わざわざ遠くから出かけていくというよりも、近所の人たちのためのお店といった位置付けになろうかと思います。そうしたお店で餃子などつまみつつビールを飲み、ラーメンやチャーハンを食べる。特筆するほどの旨さという訳ではないにしろ、毎日の生活にあると助かる存在と言えるでしょう。
そんな「町中華」で、私が特に好んで食べているのが「もやしそば」です。ラーメンの具材としてもやしが載った、何の変哲もないメニューです。が、方々の店で食べてみると、店によってその味わいはもとより、姿かたちからしても結構なバリエーションがあることに気がつきます。土台となるラーメンからしても、醤油ベースのものが主流ですが、タンメンに使う塩味のスープを使っている店も少なくありません。具材のもやしにしても、炒めてあるもの、茹でてあるもの、炒めたものをあんかけにしたものなど、さまざまなタイプがありますし、もやしだけのシンプルな具材で決めている店もあれば、キクラゲやニンジン、青菜に豚肉と多種多様に取り混ぜた店もあり、その違いを探すだけでも随分と楽しいものです。
それぞれの店に、それぞれの考えるもやしそばがあり、客もまた「なるほど、こういうスタイルもあるのか」と思いつつそれらを食べる。少々話が大きくなりすぎるかもしれませんが、もやしそばのこのバリエーションの豊富さは、「ダイバーシティ」の概念とつながる部分があると言うこともできるかもしれませんね。こうした多様性があればこそ、私たちは自分好みのもやしそばを探し出し、選ぶ楽しみがあるというものです。何につけ、多様性がある世界は私たちの選択肢を豊富にし、日々の暮らしの彩りを豊かにする可能性があると言うことができるでしょう。そうした意味でも、生活のあらゆる面でダイバーシティを進めていくことは大切なのではないでしょうか。
現今のコロナ騒動で、こうしたもやしそばを扱うような「町中華」のお店は、苦境に立たされていることと思います。何とかこの状況が早く一段落し、心置きなくもやしそばを食べに行くことができるようになる日が来ることを願うばかりです。
(藤山)

先日、所用で秋田へ行った折に、秋田県立美術館へ立ち寄りました。同館の目玉は、なんといっても藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』(1937)です。幅20.5メートル、高さ3.65メートルという巨大な画面に、竿灯祭、梵天祭、八幡祭といった秋田を代表する祭りと、そりやかまくらで遊ぶ子どもたち、秋田犬、秋田杉の材木、米俵を乗せた馬など、秋田の風景が描きこまれています。この絵は藤田と深い親交があった秋田の豪商、平野政吉の依頼に応えて描かれたもので、藤田は平野宅の米蔵を改装したアトリエで、およそ2週間ほどでこの絵を描き上げたと言われています。
藤田嗣治と言えば、独特の「乳白色の肌」と称される裸婦像や、猫の絵で広く知られていますが、その一方で、長く住んだパリをはじめとするヨーロッパ諸国や南米や中南米、中国、シンガポールなど、さまざまな土地に住む人々の暮らしぶりを描き出すことにも長けています。晩年の『小さな職人たち』(1958~1960)は、その系譜から発展した作品と言えるでしょう。
藤田がさまざまな土地のようすを描いた作品群に共通しているのは、その土地やそこで暮らす人への愛情だと私は感じています。『秋田の行事』もまた、秋田という土地と、そこで暮らす平野をはじめとした人々への愛情を感じずにはいられません。何かととげとげしい雰囲気が漂う昨今の社会ではありますが、そうした時にこそ、やさしさに満ちた絵と向き合う時間が必要なのかもしれませんね。
(藤山)
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